✔カタルーニャ州ってなぜ独立を望んでいるの?
✔住民投票の結果ってどうなったの?
✔歴史や背景も詳しく知りたい
こんな悩みを解消します。
カタルーニャは、スペイン北東部のフランス国境沿いに位置する州です。
もともと一つの王国だったこともあり、スペインとは異なる歴史背景を持っています。そして2017年には独立を問う住民投票も実施されました。
これら一連の流れを理解するためには、カタルーニャの歴史を紐解く必要があります。
そこで今日は、カタルーニャの「歴史」「独立運動」「住民投票の結果とその後」について解説したいと思います。
ぜひ、最後までご覧くださいませ。
✔カタルーニャの歴史
✔カタルーニャの独立運動
✔住民投票の結果とその後
◆◇◆◇記事の信頼性◆◇◆◇
当サイトの筆者TONYは、元専門学校教員です。地歴公民を専門で教えていたので、世界情勢には非常に詳しいです。
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カタルーニャについて
カタルーニャ州は、スペイン北東部に位置する州の1つです。フランスとの国境沿いに位置しています。
面積:32,114㎢
人口:756万6000人(国内2位)
公用語:スペイン語、カタルーニャ語、アラン語
州都:バルセロナ
州都バルセロナは、サッカー強豪FCバルセロナが本拠地を構えています。サッカー好きの方なら特にお馴染みの場所ですよね。
国内人口の約16%を占め、また域内総生産は国内の20%に匹敵することから、カタルーニャ州はスペイン経済の中心地でもあるのです。
カタルーニャにお住まいの方は、普段カタルーニャ語を話しています(スペイン語も話せます)
「自分はカタルーニャ人」というアイデンティティを強く持っています。
◆カタルーニャ州
カタルーニャ州が、なぜスペインからの独立を求めているのか知るためには、カタルーニャの歴史を紐解く必要があります。
カタルーニャの歴史
987年に「カタルーニャ君主国」が誕生し、その後アラゴン王国と連合を組み1137年に「アラゴン=カタルーニャ連合王国」が成立しました。
それ以降勢力を拡大し、地中海沿岸で影響力を持つようになったのです。
◆アラゴン=カタルーニャ連合王国
引用元:Wikipedia アラゴン=カタルーニャ連合王国の最大版図(1443年)
スペイン統一
ところが、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世が結婚したことで状況は一変します。
カスティーリャ主体でアラゴンと統一し、1479年スペイン王国が誕生します。カタルーニャもその支配下となりました。
最終的には、スペイン継承戦争中のバルセロナ包囲戦(1713~1714年)によってカタルーニャはスペイン・フランス連合軍に敗れます。それにより、カタルーニャ君主国は名実ともに幕を閉じることとなったのです。
ちなみに、バルセロナが陥落した9月11日は、「カタルーニャの日」として毎年記念日となっています。
自治権の復活
「自治権はく奪」「公的な場でのカタルーニャ語の禁止」など、その後は中央政府に厳しく弾圧されていました。
フランコ体制が終了しスペインの民主化が進んだことで、カタルーニャも自由を取り戻すようになります。
「1979年カタルーニャ自治憲章」によって「カタルーニャ自治州」が発足し、自治権が再び復活しました。
カタルーニャの独立運動
さらなる自治権拡大を定めた「2006カタルーニャ自治憲章」が、州議会での可決&住民投票での賛成多数によって、2006年に制定されました。
ところが、中央政府はそれを認めず憲法裁判所へ提訴。2010年には、憲法裁判所から「違憲判決」が出たのです。
カタルーニャの人々がもともと抱いていた中央政府への不満が、それによって一気に爆発。独立運動が激しくなっていくきっかけとなりました。
また、経済的に豊かなカタルーニャ州は国に多くの税金を納めています。それらが、財政の弱い他州に分配されていることに対しても、カタルーニャの人たちは不満を持っていたのです。
独立運動が激しくなっていった理由をまとめると、以下の3点といえます。
①「2006カタルーニャ自治憲章」に違憲判決が出たこと
②カタルーニャの意思を軽視する中央政府の姿勢
③経済的格差への不満
その後、州内での大規模デモや独自の住民投票が実施されるなど、独立運動に拍車がかかっていったのです。
2017年カタルーニャ独立住民投票
2017年10月1日に、カタルーニャ州独立の是非を問う住民投票が実施されました。
この住民投票は州議会によって可決され、カタルーニャ州としては公式に実施されたものです。
住民投票の結果は以下の通り。
賛成:92.01%
反対:7.99%
投票率:43.03%
ところが、中央政府は一貫して有効性を否定。
その理由として、「現行スペイン憲法は独立を問うため地方独自の住民投票を認めていない」ことを挙げています。
中央政府は国家警察も動員し、徹底的な投票阻止を図りました。投票できなかった住民も多く、そのことが投票率の低さにもあらわれています。
住民投票の結果を受け、当時のプチデモン州首相は独立宣言に署名。州議会もそれに可決しました。
一方、中央政府のラホイ首相(当時)も徹底抗戦。州政府閣僚を解任し州議会の解散・再選挙の対抗措置と出たのです。
また、州議会が可決した独立宣言も裁判所によって無効とされました。カタルーニャ州の自治権も一時停止となります。
その後
2017年12月に議会選挙が行われ、独立派が過半数を獲得。それを受け、独立賛成派のトラ氏が新たに州首相に選出されました。
関連サイト:
スペイン・カタルーニャ州、独立派の新首相を選出 - BBCニュース
州政府の閣僚名簿が中央政府に承認されたことで、停止していた自治権は復活。
※ちなみにトラ氏は2020年9月に失職し、現在はアラゴネス氏が代行しています
関連サイト:
カタルーニャ州首相失職 選管命令不服従で最高裁(共同通信) - Yahoo!ニュース
2019年10月最高裁判所は、2017年スペインからの独立を問う住民投票を強行したとして、当時の州政府幹部らに対し最長で禁固13年の判決を言い渡しました。
関連サイト:
スペイン・カタルーニャ州前副首相に禁錮13年、独立支持の市民が抗議 - BBCニュース
当時のプチデモン首相は、当局からの訴追を逃れるためベルギーへ出国。その後欧州議会選に立候補し、2019年5月に当選しています。
関連サイト:
カタルーニャ自決権を主張 プチデモン氏、EU議員就任で(共同通信) - Yahoo!ニュース
カタルーニャ州の独立問題について:まとめ
カタルーニャの「歴史」「独立運動」「住民投票の結果とその後」について解説しました。
◆中央政府:憲法に則った民主主義的な措置
◆カタルーニャ州:アイデンティティを回復するための独立運動
といったように、双方がそれぞれの大義名分を掲げています。一筋縄ではいかないところがこの問題の非常に難しいところです。
バルセロナは観光地としても非常に有名な場所ですが、今現地で起こっている問題に対しても私たちは目を向けなければいけないなと、この記事を書きながら思いました。
本日は、カタルーニャ州の独立問題についての解説記事でした。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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